La萠Mie 宮城県ツアー 2012
私達 La萠Mieは、2012.3.23〜26.の四日間、宮城県へ演奏旅行へ行ってきました。
17年前の阪神淡路大震災の際に援助を受けた宮城県に対して
兵庫県が企画した「がんばろう東日本! アート支援助成事業」への参加でした。
公演先、移動手段すべて自分たちで決めなければなりませんでしたが、
車を運転してくださる方も見つかり、四日間レンタカーで移動、
仙台市、石巻市、岩沼市など6ヶ所で演奏してきました。
被災地の方達に演奏を聴いていただくだけでなく、
一年経った今の状況を沢山の方達に伝える事も私達の役目だと思い、
今回の旅日記を書こうと思いました。
私たちが観た被災地の様子を最後まで読んでいただけると幸いです。
La萠Mie
(Live Report、Photo Galleryも合わせてご覧下さい)
2011.3.23.
今日は、「La萠Mie 宮城県ツアー」旅立ちの日です。
今回の参加メンバーは、リーダーの tomoeさん、minakoさん、seikoさん、
伴奏者の yukiちゃん、そして私の総勢5人。
久しぶりに、メンバー全員揃ったツアーで嬉しいです♪
伊丹空港から、朝一の飛行機に乗って宮城県仙台空港へ!
飛行時間は1時間20分程、私自身は初東北でしたが、思ってたより全然近い!
上空から仙台空港周辺を見下ろすのはちょっと怖かった!
東北の山並みが雪をかぶり、続いて思った以上に海に近いところに仙台空港が見えました。
山の緑、あとは砂?土?の一面の黄土色。
どこまで津波がやって来たのか一目瞭然の光景でした。
仙台へ着いてすぐ、宮城県滞在中に使うレンタカーを借りにいきました。
そこで、今回のツアーをコーディネートしてくださった、安彦薫さん、平塚静隆さん、
そして、滞在中の4日間、私達の運転手を努めてくださる東将人さんにお会いし、
いよいよ、宮城県ツアーの始まりです。
演奏会がないのは 今日一日だけなので、被災地を案内していただく事になりました。
日産レンタカーの赤い看板の真ん中あたりには大きな傷が付いていて
(写真ではわかりにくいですが)津波がその高さまで押し寄せてきたとの事。
従業員の方達は、空港の建物まで走って避難され助かったそうです。
辺り一面、何にもなしです。
海岸線には、松林が隙間無く植えられていたそうですが。。。
震災から一年以上たった今でも、道路標識や木々は なぎ倒されたままでした。
辺り一面何もない場所に、一カ所だけ木々が茂っている場所がありました。
そばに近づいて見ると。
神社でした。
「下増田神社」とあります。
海が望める場所にあるにもかかわらず、周りの土地より少し高台にあった為、
残ったらしいです。
ですが、よく見ると、壁の上の方に水に浸かった跡が鮮明に残っています。
社は残ってはいますが、一旦は津波に呑まれたという事が、
はっきり見て取れました。
そして奇跡のように、神社の周りの木々が流されずに残っていました。
鎮守の森とは、よく言ったものですね。
ここでなんと、 美内すずえ さんが合流してくださいました。
ご存知の方が多いと思いますが、
美内すずえ さんは、あの「ガラスの仮面」を描かれている漫画家さん。
実は tomoeさん、美内さんとは大の仲良し。
今回、La萠Mie が宮城県でツアーを行うことを聞き、
過密スケジュールの中、被災地をご一緒してくださいました。
下増田神社を後にして、次は平塚さんの案内で岩沼周辺へ向かいました。
平塚静隆さんは、岩沼市寺島で専業農家を営んでおられる方です。
自宅が津波の被害を受け、現在は仮設住宅に住んでおられます。
津波が来た時は、近所の方々を連れて阿武隈川の堤防に逃げて助かられたそうです。
その堤防に立って、当時のお話を聞きました。
平塚さんの田畑は塩害の為、作物が作れない状態になっていますが、
荒れ地になるのを防ぐため、
耐塩性アブラナ科作物の研究を生かした「菜の花プロジェクト」に参加されています。
平塚さんの畑に案内していただきました。
よく見ると、小さな花が咲いています。
平塚さんが「もう少し寒さが緩んだら、皆がよく知ってる菜の花畑になるよ」
と、おっしゃっいました。
東北の春は、もうすぐです♪
さて、一日目の昼食は「ほっきめし定食」。
沢山のほっき貝がやわらかく、いいお出汁が出ていてとても美味しかったです。
お昼ご飯の後は、名取市の閖上「日和山富士主姫神社」へ行きました。
この場所は家が建ち並んでいたそうですが、津波に呑まれ見渡す限り何もありません。
この何も無い場所は、人が片付けたのではなく、津波が作りだしまままの光景でした。
美内さんの案内で青麻神社に行きました。
夕方になり、25日演奏予定の仙台市天文台へリハーサルに向かいました。
今回、天文台でコンサートをさせていただけるということで、
絵本作家 葉祥明さんにご協力いただき、
葉祥明 『宇宙からの声』の絵と文をお借りして、
「宇宙」がテーマのプログラムを用意しました。
大きなスクリーンに素敵な絵が映し出されていきます。
リハーサルが終わり、外に出ると雪が降っていました。
宿泊は仙台駅近くのホテル。
少し歩いてみると、駅周辺は賑わっていて まるで何事も無かったような雰囲気。
少し向こうの道を隔て、津波に襲われた場所との違いに驚きました。
明日は石巻市です。
2012.3.24.
朝起きると。。。
雪が積もっていました。
三月も終わろうとしているのに、寒いです(涙)。
マダム seiko
美内すずえ さんの案内で、宮城県宮城野区蒲生地区にある中野小学校へ行きました。
学校の側にはお地蔵様。
津波の翌日、この場所には約200体もの遺体が流れついたそうです。
歩道にある柵も、津波のせいで歪んだまま残っていました。
小学校から海岸線まで、見渡す限り何にもありません。
中野小学校を見た後は、今日の公演先石巻市へ。
今日のコンサート場所は、
グループホーム「あゆかわの郷」。
この訪問先は、神戸女学院大学 声楽学科出身の池田裕子さんに紹介していただきました。
池田さんも多賀城のご自宅で、津波に遭われました。
「あゆかわの郷」に到着しました。
でも、このホームよく見ると。。。
児童公園の中に建っています。
実は、こちらのホームが元々建てられていたのは牡鹿半島。
牡鹿半島は震源地に近かった為、津波だけでなく地震の被害も大きく、
いまだに交通機関も回復しておらず、ホーム全体で仮設住宅に避難生活されています。
「見上げてごらん夜の星を」ですね。
ホームの中は、
暖かい空間が広がっていました。
お昼ご飯を、
皆さんと一緒にいただきました。
とっても優しいお味でした。
コンサート会場を
素敵に飾ってくださっています。
嬉しいです♡
コンサートが始まりました。
昔懐かしい曲を聴いていただいたり、一緒に歌ったり、
楽しい時間を過ごしました。
(「あゆかわの郷」の Live Report はこちら♪)
コンサート後は、東さんに石巻市の被災地を案内していただきました。
東将人さんは、NPO法人「りあすの森」で石巻市の復興に関わっておられる方で、
今回の旅では運転手だけでなく、カメラマン、舞台のお手伝いもしていただいています。
まず、復興住宅に案内していただきました。
復興住宅とは、私たちが知っているプレハブの仮設住宅とは全く違うものでした。
※建築士・設計事務所、工務店、専門工事業者、林業・木材産業関係者、
建材流通事業者等が連携して、
地域にふさわしい良質で被災者の方が取得可能な価格の住宅の事。
いずれ壊す事を考えて作っている仮設住宅にお金をかけるより、
これからずっと安心して生活できる、きちんとした住宅にお金をかけるべきではないか。
そんな考えのもと、色んな業界人々が協力して事業をおこなっているそうです。
被災地では、色んな方達が試行錯誤し、知恵を絞り、被災された方達のために、
力をそそいでおられるのだと、実感しました。
この復興住宅から見た景色は、とても素晴らしかったです。
こちらに来てから、被災地を見る事の方が多かったのですが、
本来の宮城は、とても素敵な所なんだと改めて思いました。
「日が暮れる前に、絶対に見ていただきたい被災場所があるんです!」
そう言って東さんが、まず連れてきてくださったのは大川小学校。
大川小学校は、TVや新聞、雑誌など大きく取り上げられた小学校なので、
ご存知の方も多いと思います。
全校生徒108人の内、68人が一瞬にして津波にさらわれ命を落としました。
大川小学校
小学校には多くの人が慰霊に訪れ、
私達が滞在している間にも、もう日が暮れようとしているにも関わらず、
献花される人が後を絶ちませんでした。
「もう一カ所、絶対にご案内したい場所があります!」
そう言って、東さんが大川小学校からさらに先、海の方向へ車を進めていきました。
だんだん海が近づいてきます。
でも、よく見ると。。。
海の中に家が。
実は、この場所は海ではなく、地震の地盤沈下によって水没した地域だったんです。
車のナビを見ると、車はずっと陸の上を走っているのに、
実際に目の前に広がっているのは、海ばかり。
そして、海に水没した家々の風景が何キロも続いていました。
東さんのお話によると、
驚いた事に!この場所は、NHKの取材すら来た事がない地区だそうです。
これだけの被害が出ているのに、一度も世に知らされた事が無い場所だそうです。
関西にいる私達にとって、被災地の事を知るの情報源の多くは報道です。
その報道が取り上げてくださらなかったら、
私達がその情報を知る可能性は、とても低くなります。
私達が報道を通して見ていた被災地の情報は、ごく一部に過ぎない、と、
改めて思い知った瞬間でした。
今日も大変な一日だったように思います。
身体が冷えたので、暖かい物を食べました。
暖かい場所で、親しい顔に囲まれて、暖かい物が食べられる。
普通に過ごせる事が、本当に幸せなんだと強く、強く思いました。
2012.3.25.
宮城県に来て、はや三日目。
昨日、一昨日と被災地を巡り、これだけ大変な場所で何ができるんだろう、と
考えてしまう自分もいましたが、今私たちにできる事は「歌う事」。
この二日間で見た風景を心に演奏したいと思いました!
今日の一カ所目の会場は「仙台北教会」。
仙台北教会は、メンバー三名の出身校である神戸女学院と深いかかわりがあり、
今回のツアーのコーディネートを助けてくださった安彦薫さんは、
神戸女学院の卒業生で先輩にあたられます。
この教会でも地震の際、建物被害がありました。
祭壇奥のステンドグラスは砕けてしまった為、今はアクリル板が入っています。
聖堂の二階には、素敵なパイプオルガン♪
今日はシンセサイザーではなく、
このパイプオルガンの伴奏で歌わせていただく事になりました。
教会の響きが心地よく、歌っていて幸せでした。
教会でのご奉仕が終わってから、
短い時間ではありましたが、このたびの思いなど、
お話させていただきました。
次の会場「仙台市天文台」に移動しました。
天文台では、絵本作家 葉祥明さんの『宇宙からの声』の絵と文をお借りして、
「宇宙」がテーマのコンサートをさせていただきました。
葉祥明さんの絵と言葉に、
皆さん感動されていました。
葉さんのご厚意に感謝いたします。
子供からお年寄りまで、
大勢の方々に楽しんでいただきました。
控え室には地球儀がいっぱい。
さすが、天文台ですね♪
天文台でのコンサートの余韻を味わう暇もなく、次の会場「Tapio」へ移動。
今日は、ここでの演奏が最後となります。
演奏予定のセンターコート♪
素敵な空間が広がっていました♡
tomoeさん、今回のツアーでは全てのコンサートでMCを担当されています。
沢山の方達が足を止めて聴いてくださいました。
演奏を聴いてくださった皆様、Tapioの皆様、有り難うございました。
(本日の Live Report はこちら♪)
今日の3公演無事終了、明日は、最終日です。
2012.3.26.
今日は、宮城県ツアー最終日。
午前中の演奏会場は、山元町 仮設住宅の集会場。
山元町は宮城県の南、海に近いところです。
ツアー出発前、TV報道で ここでも津波でたくさんの方が犠牲になられたと知りました。
東さんの運転で現地に近づいてみると、見渡す限りの仮設住宅!!
余りの広大さと数の多さに驚きました!
山元町には8カ所の仮設があります。
今回は内手仮設住宅に伺うことになっています。
内手仮設住宅内集会場が
今日のコンサート会場。
yukiちゃんが、
遊びにきてくれた子供達と一緒に、
立て看板を書いてくれました♪
プログラムは、唱歌や懐メロ等、
懐かしい曲を中心にお送りしました。
大人も子供も一緒になって、
「通りゃんせ」で遊びました。
意外にも、大盛り上がりしましたよ♪
名残惜しかったけど、会場の後片付けとお掃除をし、
午後からの演奏会場、岩沼市民会館へ急いで移動しました。
岩沼市民会館。
この会館の敷地内にも
仮設住宅が沢山建ち並んでいます。
岩沼市のコンサートの開催を引き受けて下さった平塚さん。
1日目と2日目は私たちと一緒にいてくださっていましたが、
昨日は今日のコンサートの準備をしてくださっていました。
事前の打ち合わせで、
平塚さんから「埴生の宿」と「岩沼市民歌」のリクエストがありました。
『「埴生の宿」は、今の自分の気持ちです。
「岩沼市民歌」は、今の岩沼の人たちピッタリなんです。』
私たちは「岩沼市民歌」を練習しながら、
市民歌の歌詞というものは、故郷のいつもある形が変わってしまった時に、
その大切さを知るものだ、と思いました。
コンサート初めに
ご挨拶中の平塚さん。
コンサートのお手伝いをして下さった「ウサギさんチーム」の方達との記念写真。
彼女達も市民会館敷地内の仮設住宅に住んでおられます。
ウサギさんチーム
&
La萠Mie♪
ウサギさんチームに
「関西に帰ってから、何かできる事はないでしょうか?」と尋ねたところ、
こんな答えが返ってきました。
「私たちのことを忘れないでほしい そして、また歌いに来て」
”私たちはこのことを忘れない!”
今回のツアーの意味が分かったような気がしました。
いよいよ宮城県を旅立つ時がやってきました。
神戸女学院の池田裕子先輩♡後輩
お見送りして下さった皆様 & La萠Mie & 東さん。
安彦さん♡平塚さん♡池田さん♡東さん♡
ありがとうございました!
私たちの飛行機が見えなくなるまで見送って下さったそうです。
"私達の活動は今始まりました"